日本石油輸送75年の軌跡
「成長」

4.化成品輸送事業の本格化  〔1967年~1972年〕

1960年代後半から1970年代前半にかけての高度経済成長の最盛期、当社は飛躍的に伸びる石油需要を背景に順調に業績を伸ばし、1967年に東証二部へ株式上場を果たします。
当社の石油タンク車輸送は、その経済性が注目されるようになったことで、輸送ネットワークは太平洋岸へ拡大し、京浜・京葉・中京地区の大消費地に近い大規模石油コンビナートからの輸送が増加します。将来の石油製品輸送量を見据え、タンク車の大型・軽量化に取り組みます。1967年に積載重量を従来の35tから8tアップの43tに増加させたタキ43000形式を国鉄および車両メーカー5社と共同開発しました。

石油化学コンビナートでは、塩ビモノマー、アンモニア、メタノール、硫酸、りん酸等さまざまな化学製品が製造され、輸送需要も急増し始めます。このような環境下で、当社は化成品を石油に次ぐ第2の事業に育成する基本方針を固め、1968年に化成品部を新設し、化成品タンク車のリース、輸送に本格的に乗り出すことになります。

国内の鉄道貨物輸送では、大量輸送物資は貨車による輸送を推進する一方で、一般物資はコンテナ化を推進するという輸送体系の基本方針が示されました。
コンテナ輸送の普及へ向け、国鉄は民間投資を活用するために1970年に私有コンテナ制度を設けました。これによって鉄道輸送業者、通運業者、荷主が特定の輸送品目用のコンテナを所有・運用できるようになりました。当社はこれまでの化成品輸送の経験を活かし、1971年に鉱物油用5t 積タンクコンテナのリースを開始しました。さらに1974年には定温貨物向けの12ft 感光紙用冷蔵コンテナのリースも開始しています。

当社では増大する輸送量への対処、事務作業の効率的な処理が課題となっていました。その解決策としてコンピュータを導入し、1969年に電算室を設置、同室を中心にタンク車の運用業務や輸送費計算、給与計算処理等様々な分野のコンピュータ化を推し進めました。

5.成田空港向けジェット燃料輸送  〔1973年~1980年〕

1973年と1979年の2度にわたって発生した石油危機は、原油の99% 以上を輸入に頼る日本に大きな衝撃をもたらしました。これによって高度成長から一転、低成長時代に入ることになります。これを機に、産業構造の主軸が重化学工業からコンピュータ、エレクトロニクス産業へ変化するとともに、サービス業、流通業等も発展しました。

1975年8月、成田空港向けのジェット燃料が、当社の石油タンク車によって輸送されることが決定します。石油タンク車輸送で80%ものシェアをもつ当社への委託は、設立以来30年間にわたり、石油元売各社と国鉄との間で輸送効率化のためのつなぎ役に徹してきた当社への信頻の証でした。
1978年から開始したこの「成田輸送」にあたって、本社と現地に輸送を担当する専任の部署を組織するとともに、従来の43t積石油タンク車をベースに、安全で堅牢な40t積石油タンク車(タキ40000形式)を新規開発する等、当社の総力を結集して取り組みました。

この輸送は、1983年の千葉港-成田空港間のパイプライン完成までの暫定的なものでしたが、この間に当社は最終的にはタンク車140両にまで輸送体制を拡大することになります。厳しい環境のなかで、932万KLの航空燃料を輸送するという責任の重い業務を無事故・無災害で終えたことは、当社にとってきわめて重要な経験となりました。また、石油危機による事業環境悪化という悪条件のなかで、当社の業績に大いに貢献することになります。

1978年9月に、当社は念願の東証一部に昇格を果たしました。証券取引所における審査は、企業の社会的責任が問われ、過去の業績、経理処理の正当性、業界における地位、グループ会社の状況さらには将来性と今後の経営方針にもおよび、いわば会社の総合的な分析が行われました。一部昇格は過去30余年の実績の積み上げに加え、日本石油輸送グループの実力と社会的使命が高く評価されたことを意味するものでした。

当社の石油輸送数量は成田輸送を追い風に1978年にピークを迎えますが、輸送終了以後、石油需要の減退に伴って減少に転じていきます。事業環境が激変するなかで、当社は化成品輸送事業の拡大等、新たな事業軸を模索していきます。
二度にわたる石油危機のなか、石油化学メーカー各社は厳しい事業環境のなかで輸送コストの削減の取り組みを進めていました。当社はこうした動向に適応し、メンテナンス付リースの新規受注に努めたほか、余剰の小型石油タンク車の改造・転用による低コスト車両の提供を通じたコストダウンを図ることで、業績を伸ばしていきました。こうした取り組みにより、化成品輸送事業の売上高は、1973年度から1981年度までの9年間には約3倍という高い成長を示しました。