日本石油輸送75年の軌跡
「前史〜草創期」

1.前史・共同企業株式会社  〔~1945年〕

日本石油輸送は、太平洋戦争開戦直前の1941年に、政府主導のもと、石油業界各社の共同出資により設立された国策会社「共同企業株式会社」が源流となっています。
共同企業は戦局に応じて事業、権限を拡大していくなかで、重要な戦略物資である石油の買取・輸送・管理・販売を一元的に担い、開戦当初より東南アジアから日本本土への原油のタンカー輸送に重要な役割を果たしました。
戦局が悪化し、南方産原油の輸送が不可能になると、同社では日本海側で産出する原油の買取・タンク車輸送を開始しますが、度重なる本土空襲でそれも難しくなり、東京の本社事務所も全焼の憂き目に遭うなかで終戦を迎えます。

終戦後、日本の占領・統治を担った連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から戦争協力企業とみなされ、1948年12月付での解散命令が出されてしまいます。
このとき、共同企業の首脳陣は「共同企業の持つ石油製品の輸送という機能こそ、戦後日本の復興、発展のために絶対必要不可欠である」との強い信念のもと、解散までの間に、この機能を引き継ぐ新会社設立を目指し、GHQ や石油業界の説得に奔走します。
そして1946年3月27日に、原油の買取販売・輸送業務を中心とした「日本原油輸送株式会社」を発足させ、タンク車114両、タンクローリー1台で新たなスタートを切ります。

2.新たな石油輸送の草創期  〔1946年~1957年〕

日本原油輸送は、共同企業の主要事業であった国産原油の一元的買取販売事業と輸送事業を受け継ぐ企業としてスタートしました。一元的買取販売事業とは、日本海側の油田で産出した原油を採掘業者から全て買い取り、石油精製業者へ販売・輸送する事業でした。
しかし、GHQによって戦時中の統制規則が禁止されたことで、国産原油の一元的買取販売事業が継続不可能となります。そこで当社は生き残りをかけ、輸送専門事業者として再スタートをきる道を選択します。

この選択によって、取扱品目を原油のみならずガソリン等の石油製品を、輸送エリアも太平洋側でも手掛けることによって業容の拡大に成功します。また、タンクローリー輸送も設立当初に日本海側での原油輸送業務からスタートし、製品輸送へ拡大させていきます。1948年以降、首都圏、大阪、名古屋地区で相次いで輸送を開始しました。

このような変化に応じて、1948年に日本石油運送株式会社、さらに1957年には現在の社名となる日本石油輸送株式会社へと社名変更を行い、名実ともに石油輸送のプロフェッショナルとして、確かな地位を築いていくことになります。

3.事業多角化の芽生え  〔1958年~1966年〕

「高度経済成長期」の1960年代には、原油の輸入自由化をきっかけとして、大量かつ安価に供給され始めた石油が、多様な交通機関、暖房用、火力発電用として大量に消費されるようになり、当社のタンク車の輸送量は飛躍的に増加していきます。
石油製品の需要が増加し、タンクローリー輸送も好調に推移するなかで、地方密着型の事業運営が望ましいと判断した当社は、東北石油輸送、関東石油輸送、関西石油輸送、札幌石油輸送、近畿石油輸送を相次いで分離独立させ現在の日本石油輸送グループの原型が築かれていきます。

加えて石油を原料とする石油化学工業も発展を遂げ、さまざまな製品も大量に製造されるようになるなか、当社はメタノールのタンク車輸送を皮切りに化成品輸送に参入を果たします。